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2000/11/25 6:30起床 なんかベッドもやわらかかったし疲れが出てきたのかドロドロー。

7時、朝食を食べに行く。ここもバイキング。レストランのおやじさんたちはとても優しい。・・・ん?そういえばどこのレストランでもインドの人はたいてい優しかった。(アメリカのつっけんどんな商売っけの無さに比べるとね)

8時にホテルを出発。さぁ!最後の一日だ!今日は13時ころデリー着の予定である。


交通事故に遭遇

・・・とその意気込みの途中。9:45。なんだか車が遅くなる。どうしたんだろう、と思っているとついには停車してしまった。

事故だった。10分くらい車を路肩に止める。ものすごい渋滞だ。

どうやら男の子が一人亡くなってしまったらしい。4車線あるというのに全部塞いでしまうほどの人、人、ひと。

欧米人の観光客や地元の人っぽい人たちが心配そうに先を見つめていた。

私たちも車から降りて風景の写真を撮ったりして時間をつぶした。

←すぐわきにある村。

でっかい牛が寝転んでいる。
その傍らで子供たちが遊ぶ。

ふと見ると何やら小屋があった。

鏡があるぞ。
ん?男性が座っている人の頭に手をかけている。

おおーっこれは床屋さんじゃないか。
ちゃんと屋根もあって店じまいしたらドアも畳んで閉めることができるようになっている。

なかなか動かない渋滞。ガイドさんとドライバーさんで悩みぬいた結果、地元の人にデリーへ向かうことのできる道を教えてもらったようだ。10:20、止まってから約50分後その道を走り始めた。

いやぁ、この道がすごかった。畑の中の農道なんだけどものすごいでこぼこ道。まるでサファリラリーのように砂煙をあげて走る。アンバサダーという車は前にも書いたようにスプリングが悪くって振動がはんぱない。乾季の今、道路は砂でいっぱいでこの車ではとんでもなく疲れてしまった。

10:35農道を抜けてようやくさっきの渋滞をかわして幹線にもどることができた。ものすごいロスタイムにダーラムさんは観光を削らなきゃいけないかも、と言い出した。ちょっとぉ〜まじで?

10:40トイレタイム。ドライブインみたいなところ。駐車場のわきで男の子がチャパティみたいなのを焼く準備していた。15分くらいで急いで出発!


12:20予定がどうだったのかわかんないけど順調にデリーまで来た。街の中は人人人。交差点に停車すると車に物乞いが近づいてくる。乳飲み子を抱いた母親がべったり張り付いてくるようで、窓の外を見ることができない。

フマユーン廟

12:45フマユーン廟到着。ガイドのダーラムさんは入口で私たちをフリータイムにした。どうやら説明だけしたらもうあとは歩きたくないらしい。なんなんだ、いったい・・・。

ムガール帝国第2代皇帝の墓で、タージマハルのイメージの原型になっているとも言われる建物。1565年から9年かかったって。奥さんが建てさせたんだそうだ。
赤砂岩と大理石の紅白のメリハリが美しい。見学のための階段がきつかった〜!

うーん、やっぱりガイドさんがついてきて説明してくれるほうがじっくり見られるなぁ。


13:30お昼ごはん。

デリーで一番おいしいという日本料理、いやほぼ中華料理の店「富士屋」だった。

こりゃなんとまぁごった煮だ。
浮世絵に中華…。

味もいまいちだった。インド人の味になってしまっているようだ。でもね、この店はニューデリーのそれも閑静な住宅街にあってお客さんのインド人もどことなくハイソな感じがする。

でもトイレはめっちゃ汚かったー。

(ちなみにWEBサイトをみつけたよ→こちら)


12:15市内観光再開。オールドデリーに向かう。

デリーのインド門

5分後にインド門に着く。下車して写真を撮るだけ。
1931年に建てられ第一次世界大戦の慰霊碑で、戦士9万人の名前が書かれている。
ここがデリーの中心と言っていた。

官公庁のど真ん中にあり、インド門をまっすぐ行くと国会議事堂や大統領官邸などがあるらしい。

↓下の写真のかすんでいるのが大統領官邸だね。


ジャーマ・マスジットを横目に見ながらレッド・フォート(デリー城)へ。外から眺めるのみ。


ラージガート(RAJGHAT)

14:50ガンジーの墓へ。ものすごい人の数。実は私はガンジーという人を良く知らなかった。名前は有名だけど。インド独立の父と言われている人なんだとか。勉強不足だ。今になってガンジーのことを書いてあるものを読んで偉人であったことが少しだけわかった気がする。

78歳で暗殺されて亡くなったとき国葬が行われ、遺灰はヤムナー川とガンジス川と南アフリカの海に撒かれたそうだ。だからここは正確にはガンジーのお墓というわけではない。荼毘にふされた場所なんだそうだ。

ものすごい広い敷地にこんな墓標が。たくさんの人がお参りに訪れるらしい。この日たくさんの人がいたのは、インド人の小学校低学年くらいの子供から軍の学生のような人たち、あとは老人までさまざまだった。


15時出発して空港へ向かう。15:40頃紅茶の店へ。

店とはいっても、なんだかゴミゴミした自動車修理工場などがある場所の一角にある5階建てくらいの建物だった。

入っていくと周りは暗く隣は空き店舗だったりする。
一室だけ電気がつけられて4,5人の人がいた。そこはダーラムさんの知り合いの店らしく、どうやら小売りではなくて卸専門のようだ。

私としては会社のお土産用にティーバックの紅茶をまとめ買いしたかったんだけど、ここにはリーフティしかなかった。

わざわざ寄ってもらったし、そんな事情を伝えた上で自宅用にリーフティーをひと箱だけ買った。ほんとはなんにも要らなかったんだけど、なんとなく買わなきゃ帰れないような強迫観念が・・・。(笑)

このあとダーラムさんがティーバックのありそうな店を聞いたからと、もう一軒連れて行ってくれた。でもそこにもリーフティーしか無い。どうやらインド人は本格的というかティーバックでは飲まないかららしい。

最初の店の店主は「ティーバックは屑茶だ。美味しい紅茶はリーフで飲むのだ」と力説していた。私もまぁそう思うけど会社のばら撒き土産に大量に買うんだから仕方ないじゃん。


そうこうして16:15空港に着いた。

空港はやっぱりここも写真がダメ。もう写真を撮れないからダーラムさんもドライバーさんも目に焼き付けるしかないんだなあ。ダーラムさんとは旅の途中でちょっとトラぶったけれども。感じ悪いなぁと思ったこともあったけど悪い人ではないし。

チップは父から渡すし私はドライバーさんの運転にどう感謝を表そうか思っていた私は、ずっと考えていたことを実行した。たいしたことじゃないんだけど、いつものように車のドアを開けてくれたドライバーさんに「サンキュー、プレゼント フォー ユア チルドレン」と言って日本から持参していた「フラボノガム」「梅ガム」をあげた。

ガムは全く手を付けていなかったし彼はとても喜んでくれた。そしてもう一つ「アンド プレゼント フォー ユー」と旅行中ずっと使っていたサングラスをあげた。なにしろ彼は西日の中でもずっと眩しそうに運転していたから。

インドにはチップの習慣が残っているものの、こうして「物をあげる」ということがどの程度失礼になるのかわかんなくってすごく悩んだんだけど、「チップだってこれだって気持ちだし」と思い直してあげることにしたんだ。

そしたらさ、ドライバーさんすごく喜んでくれた。実際父からはチップでお金もらっているし、ちょっとあげすぎかもしれないけどさ。彼は私と同い年だと最後に聞いた。そして子供が3人いてあまり楽な暮らしぶりではないらしいことはダーラムさんとの会話で知った。ま、いいだろう。喜んでもらえたことだし。

インド出発

17:30かばんのチェックをしてチェックイン。

19:50にはセキュリティチェックをして20:50搭乗。またエア・インディアだぁー。

・・・と、21:25病人が発生した。ごたごたした最後だ。さすがインド。21:55やっと機体が動き始めた。
22:00離陸。

日本に着いたのは4:31。日本時間で朝の8時だった。8:45にはリムジンに乗り羽田空港へ。早く着いたので早い便に変更し、10:45発のJAS便で帯広へ帰宅。


旅行中に書き留めたメモをもとに旅行記を仕上げたけど、デジカメじゃないのであまり事細かに写真を撮ることができなかったし、なんとなくまとまりのない旅行記になってしまったかもしれない。

なので今回は「旅行記」と名づけず「写真雑記」ってことにしたのだ。

インド、奥深い。この旅行なんてほんと勉強不足の人間のツラッと表面的なインド旅行だ。
また行きたいと思う。その時もやっぱりバックパックではないツアーだろうけども。
表面的と一言で終わらないような旅をしてみたいものだと思っている。

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