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ファテープル・シクリーをあとにして12:30アグラに向けて出発。

途中何か黒い塊を引く男性発見。よくよく見ればそれは熊だった。ここにもあそこにも、と街道沿いに居た。熊使いのようだ。たぶん芸をさせてお金をもらおうってことだろうけど。インドにも熊いるんだ・・・。怖すぎ。

1:10アグラの街に入りホテルに入る。


2:10市内観光に出発しまずは何をおいても、である。タージマハルを見に行こう。

電気自動車に乗り換えよう

タージマハルから500mくらいとずいぶん離れたところで私たちは乗ってきた車を降り、電気自動車に乗り換えた。20ルピーかかる。外国人はもう少し高いかも。
白い大理石でできているタージ・マハルは自動車の普及に伴い年々黒く汚れがひどくなってきたらしく、その汚れを防止するために電気自動車で近づく、ということなんだそうだ。いいことだね。
大気汚染の酸性雨が石を溶かすという意見もあるようだけど、それはどうなのかねぇ。半径500m程度の規制では大気汚染まではカバーしきれないんじゃないかな?

カメラマンが写真を撮ろうか?と少しうるさい。ふりきって歩く。どうやら高い写真代を吹っかけてくるらしいので要注意のようだ。ではでは見ていただこう!ハイ、ドーン!

っていうかすごい人!大多数がインド人っぽい。毛沢東の墓参りをする中国人みたいなものか?

ところで2011/10に気になるニュースがあった。

タージ・マハルが建つ土台が周囲の川の水不足によりもろくなり土台を補強するなどの適切な処置をしないと5年以内に崩壊する可能性もあると発表した専門家がいる。また、地盤沈下が進み4本の尖塔に傾きが生じているらしい。

1631年にムガル皇帝シャー・ジャハーンの愛する奥様が亡くなってその霊廟として建てられた。22年もかけて完成。もう建築されて360年あまり。傷みが出てこないほうが不思議な話である。

1日2万人の労働者がここで働いた。最愛の王妃のために作ったものだから絶対にこのデザインを模倣させてはならないと、皇帝は建築にかかわった大工たちの腕を切り落とした、という伝説も残っている。

タージマハルをはさんだ両側にも美しい建物がある。モスクと客人をもてなす迎賓館のようなものだったはず。

正門から歩く歩く。大きいから近く見えるけどかなり遠い。

対岸にはシャージャハーンが自分用にお墓を建てようとした場所が見える。きちんと整地もされている。でもこの時点で国のお金が底をついてしまって建設を断念。
そうこうしているうちに庶民から噴き出た不満が原因で、シャージャハーンは自分の息子に幽閉されてしまうのであーる。完成していたらふたつのお墓は橋でつながれる計画だったとか。
自分が死んでしまっても奥さんとつながっていたいなんて、話としてはロマンティックだけど。でも莫大なお金をつぎ込むなんてーのは庶民には許されないことだよね。

ようやくタージ本体に近づいたらお墓なので入口で靴を脱がなくてはならない。靴を手に持って入る。中では写真を撮ることができない。なので言葉で説明するとひとこと「ギューギュー!」

インド人と外国人観光客がみっちみちに見学する。ガイドさんにすりに注意するように言われた。おまけにインド人たちの体臭がきつくてチカチカするーっ!もうもう、内部も美しく素晴らしかったのに気もそぞろである。

タージマハルを出てきたとこの両親。↑靴持ってますねぇ。

近くで見るタージマハルはもっともっと繊細で美しかった。遠目に見る計算しつくされた美しさは今までいろんな写真で知っていたけど、近くで見てみるもんだ。大理石に宝石を閉じ込めたモザイクもね。

それにしても人が多い。びっっっっしりといる。

←タージマハル向かい側の正門。

↓下の写真は正門から外に出たところ。

どんどんインド人や観光客が吸い込まれていく。

やっぱり午後14時ってのは観光のピークなんだろうか?

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