里親募集のサイトをちょくちょく拝見して、自分にできることを考えたら飼って上げることはできないけど、こんなアクセスの少ない(一日に50件弱)サイトでもできることは、里親募集しているという情報を広めることだと思ってカテゴリーを作ったわけさ。
今日載せた埼玉の募集サイトを読んで涙が出た。可哀想とかいうこともある。でも、タバコの火を押し付けられたり、犬をけしかけて幼猫をいじめさせたり、殴りつけたりという人間の行為に腹が立ったのだ。
生き物に対するそういった虐待をなぜできるのだろう。自分より弱いものだから?ときどきZoeを抱っこして感じる体温。生きてるなぁって思う。そして私のすぐ足元にいるのに気づかずにぶつかっちゃったときに、よろめくZoeを見ていると、なんと頼りなげなんだろうと思う。人間の力を持ってすればどんなことも簡単にできてしまう。そんなはかない命なのだ。
それでも彼らは一生懸命生きている。野良は生きるために必死なのだ。必死に人間にすり寄ることだってする。おそらくZoeもそうだっただろうと。東京の真ん中で会社帰りの保護者にすりよったとき、食べ物をもらうことに必死だっただろう。そのすり寄った相手がもしこんな虐待する人間だったら、と考えると恐ろしくなる。Zoeは今ここにいないかもしれない。
生き物の命の大切さを知って欲しいです。去勢・避妊も同じ。無責任に増やしてしまうのは罪だよ。飼えなくなって捨てる、その猫がまた…。どうしようもない悪循環に陥ってる。
「里親募集」の記事のときに、私は大きな里親募集サイトにいって見つけてきます。常時900件ちかく掲載されています。私の抜粋する基準はできるだけ4歳以上(子猫はもらわれやすいから)ということとあとはやはり内容。中には「捨てられてました」と書かれていてもなんとなく「本人が飼っていたのではないか」と思われる(感じてしまう)ものがある。正直いってそういうのは除外してしまう。「そんなのずるいよ」と思っちゃうから。もしそうなのだとしたら正直に飼えなくなった経緯を書いた方がいいとおもうの。
それから理由によくあるのが「猫アレルギーが云々…」っていう理由。それも悪いけど除外させてもらってる。どうしてかというと、それは私も猫アレルギーと診断されているから。あまり過度にZoeをかまうと鼻炎になってしまうし、抱っこしたときに半袖を着ていたら腕の内側にプツプツと赤い発疹が出るし、つい可愛くて顔に近くZoeを抱っこすると触れちゃったトコが赤く痒くなる。
きっちりアレルギー反応は出ているけど、それでも過度にかまわなきゃいいんだし、抱っこするときは長袖を着ていればいいんだし、調子に乗ってスリスリなんかしなきゃいいんだ。そうやれば猫アレルギーの人でも飼えるということを身を持って知っているから「そんなん理由になんねぇよ」と思ってしまうのだ。
まー、「泣きました」なんてなんの訴えにもならないけど、ひとりひとりが少しでも考えて欲しい、そう思ったのでした。