トップ > 旅行 > 海外 > ペルー・メキシコの旅 > part 16 > part 17 > part 18プーノのアルマス広場 10時半すぎにアルマス広場に到着。やはりプーノにも、どこにでも「アルマス広場」がある。(カテドラル前の私) カテドラルは18世紀の建物だ。建築物としてはなかなか見応えがあるものだと思った。 駐車禁止事件 この町に入って、どうも交通渋滞がある。なんだろうと思っていたらマラソン大会(?)のようなものがおこなわれていて、ここアルマス広場がゴールのようで・・・。警官がたくさん警備に当たっていた。そのうち、伴走者を伴ったランナーがゴールしてインタビューを受けていた。あれ?伴走者?ってことは目が不自由な人なのかな?そう思っていたけど次のランナーは一人で走ってきた・・・?ん〜結局わかんなかった。面白かったのが、タイムを測る人が一人しかいないようなのに、その人はランナーそれぞれとゴール10mくらい前から一緒にゴールする。 そして、続々ゴールしてくるともう何がなんだかわかんない風・・・。見ているほうはなおさらわけわかんなかった・・・。どうやってタイムを測っているんだろう・・・いずれにしても、このマラソン大会のおかげで、アルマス広場周辺に大規模な交通規制がしかれてしまったらしい。で、私たちの車がこのあとエライ目にあった。クスコからのドライバーさんにはその情報がなかったらしく、規制がかかる前に広場周辺に入り、停車できない場所で路上駐車してしまったらしいのだ。 私たちがアルマス広場を堪能して車に戻ったら、ガイド氏が今日乗る予定であるリマ行きのフライトを変更しに行ってしまったところだった。時間が余ったから早い飛行機に乗せようというのだ。 で、そうしているうちにドライバーさんが警察官と喋っている。「なんか雰囲気があやしいぞ・・・」と思った。それは日本の警察とのやりとりとさほど変わらない。アチャーーー・・・どうやら駐車違反の切符を切られたらしい。ガイドのフェリペさん以外にもう一人いた現地ガイド君と、私たちの4人だけになった。まいった…フェリペさんはチケット手配のためにプーノのオフィスだしガイド君は日本語もダメだし英語もカタコトだった。現状を把握したくてがんばってガイド君と筆談に励んで、やっとここまでの状況がわかった。 フェリペさんが戻ってきた。ガイド君が説明すると彼もまた「アチャー」という顔をしてドライバーさんの歩いていった方に走っていった。警察署に行くんだろう。何分待っただろう。30分はたったな。二人が戻ってきた。やっぱり駐車違反だったらしい。ハァ・・・とんだことになっちゃったなぁ・・・と、思わぬ事件に時間を費やしてしまったが、私たちは食事をして、空港に向けて出発したのだった。(父撮影) 食事は昨夜と同じ店。ペルー料理だ。 フリアカの町 チチカカ湖とプーノを高台から望む 青空 プーノからフリアカの空港へ向かう。そこにはすばらしい青空が広がっていた。これほどの青空を私は生まれてから見たことが無かった。天国があるなら、手が届きそうな気がした。ほんとに。っていうか、ここが天国か?なんて思っちゃうくらい。手を伸ばしたらつかめるくらい近く感じる。 私の住む北海道でも「十勝晴れ」という快晴があるけれど、ここの青は比較にならないくらい濃いものだった。 1:30 空港に到着した。また一騒動だった。プーノのオフィスで一便早めたチケットを確認したのに、ここにきて席が無いという。残席2席。乗れなかったらこれから4時間ぼーっとしてしまうのだ。 私だけ次の便で行こうか?なんて冗談言ったりして。(あ、そういえば私冗談いえるくらい回復していたんだ)もう搭乗の締め切りですって頃に「空きました!」とうれしい知らせ(^^) キャンセルが出たのか・・・?ま、もうどうでもいいや!締め切りが迫っていたので、挨拶もソコソコに搭乗することになった。よかった〜!やっと高山病とも薬ともお別れだ〜! インカコーラとポテトチップスと カップケーキ(のようなもの)高地を離れて… 飛行機のなかはもう気圧が保たれているはずなのに、私はまだ深呼吸していた。 「普通の」ところに戻ることが嬉しいような懐かしいような・・・寂しい感じさえ覚えている。 次に飛行機のドアが開いたら、そこは「普通の」気圧の世界なんだ…! 迎え来ず 17:30頃、リマに着いた。相変わらずの曇り空のリマ。あの青空が懐かしく感じられた。機内で「迎えに来てなかったら笑えるね」という冗談が本当になった。どうやらリマの方に「一便早まる」連絡が行ってなかったらしい。私たちは現地人しか居ないと思われる到着口で途方にくれた・・・。オイオイ、マジか・・・?10分くらい待った頃、私は意を決して電話ボックスに向かった。正直言って海外の電話ボックスで架けた事が数えるほどしかない。「年老いた」(怒られるな)両親には無理と判断したものの、私も自信が無いままに電話を探した。見つけた電話には当然ペルー語の表記のみ。けど、図示してある!結局日本とさほど変わらず電話を架けることが出来た。(親には難しかったと言って恩を売っておくか・・・( ̄ー ̄))そして私は間違ってリマの宿泊先に架けてしまった。本当であればクスコの現地会社に伝えるのがスジだっただろう。 ところが、このペンション「カンツータ」の奥さんがいい人でラッキー!「すぐ行くように手配するからそこで待っててくださいね。」と言ってくれた。この宿の方たちは日本人の方なのでとっても助かった! しばらくするとずっと前(のような気がするけど5日前なだけなんだな)に迎えに来てくれた日系二世のオオイシ氏が急いでやってきた。想像通り、クスコからの連絡が入ってなかったらしい。ハゥ・・・ ただいま ペンション「カンツータ」 空港から程近い住宅街の中の宿に到着した。車は最初来た時とは違う裏口(といっても普通の大きさ)から敷地に入った。なんでも、土産物店が団体客でいっぱいなので、ということだった。そう、この「カンツータ」は日本人の早内さんご夫婦が経営してらっしゃる。「ポコ・ア・ポコ」という土産物店経営の傍ら、ペンションも併設されている。奥さんの香苗さんは染色家でもある。ペルーで草木染めをされているとか。 土産物店は半端じゃない商品の数。店を通ってまるで自宅のような部屋に上がるけど、3階までびっちりと埋め尽くされている。もちろん香苗さんの作品も。こうやって宿泊者が出入りして不安は無いのかな、と思いながら話を聞いてみた。 以前は「地球の○○方」にも掲載してもらったけど、来るお客さんのレベルが低かったらしい。やはり安い旅行をしている人の中には、商品を「いただいちゃう」人もよく居たんだそうだ。嫌気がさして今はガイドブック系には一切載せていなくて、旅行社では、私たちの参加した「風の旅行社」との提携一本だという。それは、どういうことか簡単に想像がつく。「風の旅行社」の旅行は、正直言って安価とはいえない。(でもとっても細部に至って手が届いているけれどね)そのように高額を支払って来る人にはある程度の「良識」がある、と思うんだろう。それはクールな考え方だなぁ、と私は納得したよ。うん。さて、この夜食事の時間まで私たちは自分の家のように、シャワー浴びたりベッドに寝転がったりして過ごした。そして夕食に呼ばれて感嘆した!和食なのだ・・・。この旅行を通してこの宿で味わった和食は中休みのようで(まだ半分残っているからね)とてもありがたかった。だってもうペルー料理は堪能しましたもの!オホホホホ(実はちょっと飽きてた) 大きな食卓で他のお客さんと、オーナーとともに食事をとる。みんな日本人だ・・・。なんだかとても不思議な感覚。ここはペルーだよ?って感じ。(^^)ここの料理は日本食だというだけで喜んだわけじゃなかった。マジ美味しい!香苗さんの指示でペルー人のお手伝いさんたちが作るんだろうけど、味付けもいいし、見た目の工夫など、ほんとに嬉しかった。 明日は8:00出発だ。ゆっくり眠れる。呼吸が普通、それが何よりもうれしい夜だった。 |
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