空からの贈り物ペルー・メキシコ2003年9月
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NAOツアーに別れを告げ、私たちのペルー旅行はクスコの市内観光からスタートした。車の中から撮ったのに、メリハリクッキリクスコ!

カテドラル前にて(父撮影) カテドラル側からアルマス広場を見る
アルマス広場だらけ
クスコのみならず、スペインが統治した町には必ず「アルマス広場」がある。そう、ペルーのどこを旅しても「またアルマス広場?」って感じだ。とりわけこのクスコのは大きく素敵な広場だ。
インカ時代の神殿跡に建てられたカテドラルは1550年に建てられたらしい。それも100年かかって完成したのだそうだ。この日は残念ながら日曜日でミサが行われていたので内部の写真撮影は出来なかった。だけど、かえってラッキーだったのは美しい教会内部に響き渡る賛美歌を聴くことが出来たこと。
独特なカトリックが根付いているペルーなだけに、この賛美歌も女性の独唱だったんだけどなんていうのかな、ゴスペルに近いようなそんな力強い雰囲気があった。何度も起きた地震で崩れて修復したところもあるものの、クスコのアルマス広場周辺には多くのインカ時代の石積みが残っていて広場からふと眺めただけでもその石組みの精巧さの違いが見てとれる。
(アルマス広場の噴水)
やっぱり南半球
カテドラルも教会も逆光で撮影に苦労した。朝8時に。で、後で地図を見ると二つとも南向きに建てられた建物だということを聞いた。
それを聞いた瞬間私は「なんで?北向きじゃん、だって逆光で・・・?」と思っていた。バカだ(^_^;)ペルーは南半球だったのだ。あたりまえのことだった。オマヌケ。(ラ・カンパーニャ・ヘスス教会)


さぁ、ここからウルバンバに向けクスコの街を出る。クスコの高台から中心部を望む。さっきまで居たアルマス広場とカテドラルだ。北側の丘に登ったことがわかる、かな?
この写真の奥の山に文字が書いてあるのは別に古代のものではありません。
とにかくこういう山の斜面に文字を書くのが好きな国民性なのだと、この旅行を通じて感じた。あまりにいろんなところで見かけたから写真に撮ることすら忘れてたくらい。ま、このクスコのはガイドブックの写真でもよく見るので撮っておいたわけ。(^_^)

クスコが3395mで、だんだんと車を進めるにつれ標高が下がっていく。ここもクスコから車で1時間くらいの丘を(山かな)ひとつ超えたところらある盆地。ちょっとした展望台のようになったところから。

車に揺られること40分くらいたったころ私はトイレに行きたくなった。でも、このときめまいを感じてきてた。高山病か・・・と思いつつトイレに寄ってもらう。こういうとき自分たちだけの車というのはありがたい。

旅をふりかえってもペルーのトイレ事情は・・・良いとは言えないがここもそんなトイレの初体験だ。手で流すのはもちろんだが、鍵がかからない。っていうか、キチっと閉まらないのだ。めまいもするし、仕方なく母を呼びドアを押さえてもらって用をたした。
*体調メモ* めまい・動悸
トイレを出るとみんなが待っていた。気づけばそこはみやげ物店だということを知った。けど、フェリペ氏は特に「寄って見てって」とは言わなかった。たいていこういうときは提携したみやげ物店をハシゴってーのがつきものなのにね。良かったよ〜スッキリしたし…。
出たところに左の写真のような太い木が立てられてて、そこにフラリと登場した二人の男性が向かい合わせて座り始めた。「ああ、デモンストレーションか」とは思いつつしばらくセッティングを眺めてた。
これがけっこう時間がかかった。木に対して腰で引っ張った縦糸に横糸を通して織るらしい。これらの織物はたいてい家庭の男性が織るのだそうだ。それは力が強いのも理由らしく、男性が織った物はとてもしっかりしている。細かな模様を入れると1mくらいで1ヶ月くらいかかるものもあるとか。
残念ながら彼らはあくまでもショーであり商品は持っていないし時間を取ってしまったのでチップを渡して去ることにする。

また10分くらい走ったところで車を止めてくれた。私が旅の出発のときに「写真撮るのが好きで〜」と話していたからだろう、フェリペ氏が「ここ、すばらしいんですよ〜、写真どうぞ〜」と言ってくれたのだ。

こんな写真しか撮れなくてスミマセン、といいたい。遠く万年雪を抱く山が見え、谷を走るのはウルバンバ川だ。このウルバンバ川は後々行く先で名前を変え、最終的にはアマゾン川に合流するのだそうだ。遠く霞む山はそれはそれは美しかった。空気は硬い、そんな感じがした。

このあたりにきて私のめまいはとても辛いものになった。歩くのが億劫で仕方が無い・・・。写真もようやく撮って車にそうそうに乗り込んだ。


ピサックの市
月曜日に来たのが残念だ。よくガイドブックに載っている賑わうピサックの市場は火・木・日曜日なのだ。私は市場が大好きなのでこの市ではちょっと不満足。だってただの観光土産店の青空市なんだもん。特に安いわけじゃないけど、後で考えるとクスコやプーノよりは絶対安い。
ここは見たとおりの石畳。石畳というか・・・丸い石が敷き詰められているのでとても歩きづらい。


ちょっとした小道を歩いていく。フェリペ氏が案内してくれたのはこのあたりでもっとも古い焼窯を使ってパンを作っているところだ。みやげ物も置いてある小さなコーナーもあるので、誰でも自由に入ることができるだろう。けど、私たちの行ったときは観光客は誰も来なかった。意外に穴場なのかも?ここで石窯を使って古くから作られていたパンを今も作っているというので一つ買ってみた。(ゴメンナサイ、パンの写真が無いのは体調の悪さのせいデス)
平たいコッペパンの中心部にたまねぎなどの野菜が入っている。ごめんなさい。味付けはわからないのです。なぜなら私はこのとき超調子悪し、だったのだ。口に物を入れる気ナシ。全くナシ。だけど、なんとかパン部分だけ口に運んだ。食べてみなきゃ。香ばしい。だけど…だけど…ただのコッペパンだった…。
*体調メモ* めまい・動悸が最悪期か?座りたい。
市場のこと
市のあたりまで戻ってきて、しばらく買い物タイムを取ってくれた。といっても私は相変わらずめまいを起こしていてふらっふらっとしてしまう。両親はなんでもなくて私を心配しつつ買い物も集中できずにいたようだ。座りたくて、市の端までいってちょっとしたベンチに腰を下ろす。ンフゥ・・・

そうそう、市場のことを少し話さなきゃ。とにかく全部一通り周った方がいいな。小さな市場だしね。同じような品物がとにかくあるので価格交渉もしたほうがいい。私はペーパーナイフを買ったんだけど、ほぼ半額になった。だいたい言い値の半分言ってみて大丈夫。「こまったわねぇ」みたいな顔もしない。人にもよるのかな?で、言い合って結局半額よりちょい高めって感じに収まる。言い値で買ってたらとても高い。

買い物をするっぽく品物を眺めていると熱心に「おねぇさぁん」と声をかけてくる。ここまできて「おねぇさん」なんて日本語聞きたくないわぁ。まぁ、ほとんどの人は「セニョリータ」とかだけど。たいていの売り子はそれほどしつこくない。「ノー・グラシアス」といえば「そうかい・・・」って感じで引き際は早い。私は買い物しないってことを見抜いていたのだろうか?

異文化コミュニケーション

さて朝から何も食べていないと言ってご飯を食べに行ったフェリペ氏を待って車は出発した。こういうところが現地ガイドさんはおもしろい。日本人ガイドさんなら絶対に無いことだろう。私はこんなんも"有り"だと思う。たとえば、敬虔なイスラム教信者のガイドさんはガイド時間中でも聖地に向かって祈りをささげる時間を取る。それも文化なのだからうけとめるほうが観光地を写真に撮るだけじゃなく体験できるものだと思うからだ。
農耕今昔

遠くに畑を耕す風景が見えた。おっおーっ牛車で引いている。そして向こうにはトラクターが。今、だんだんと機械がペルーの農業に入ってきているらしい。だけど、まだまだこうした人と動物と、という生活が残っているんだそうだ。

インドよりか進んでるのかな。あの国の田舎はまだまだ牛車だったな。
干しレンガ
クスコの街が赤茶に見えてた理由発見〜。地元の土を採掘して干しレンガを作っていた。全部手作業のようだ。地震もある国なのに、大丈夫なのだろうかと思ったけどこれはずーっとずーっと昔から作って建材として使っていたらしいので丈夫なものなんだろうなぁ。触ってみたかったけど…車の中より(父撮影)

そんなときも私はめまい三昧。もうけっこうだ、というくらいだ。クスコについてまだ半日だというのに、洗礼を受けちゃったなぁ…。オリャイタイタンボまであと少し…

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